勝ったり、負けたり。負けたり、勝ったり。負けたり、負けたり・・・
しかし、諦めずに明確な目標を持って努力を怠らない者に、終わりのないトンネルはない。
花形進は昭和43年、10回戦選手に昇格する。実に31戦を積み重ねた後の10回戦昇格であった。
10回戦に進んでからの花形進は連戦連勝を重ねた。それまでKO勝ちが一つもなかったが、長い下積み時代に培った技術と、絶え間ない鍛錬に裏打ちされたスピード、そしてなによりも不屈の精神力が、花形進を飛躍させた。昭和43年7戦7勝、2KO。この数字がそれを物語る。
この時期花形進は、あの伝説のボクサー大場政夫に判定勝利を収めている。後にWBA世界フライ級チャンピオンとして5度の防衛に成功するが、現役王者のまま不慮の事故死を遂げ「永遠のチャンプ」と称される伝説のボクサー、大場政夫だ。
しかし、この勝負はやがて後に花形進vs大場政夫の因縁の世界タイトルマッチへとつながって行くのだが・・・
さて年が明けた昭和44年、花形進は大きく花が開く。
4月にスピーディー早瀬を破り日本フライ級チャンピオンの座に登りつめたのだ。
そしてその勢いは留まることを知らなかった。
6月に現役のWBCフライ級チャンピオン・アラクラン・トーレス(メキシコ)とノンタイトル戦ではあるが、ロサンゼルス遠征でのカードが決まったのだ。
つい数年前、1勝もできない年もあった。“世界”など程遠かった。見上げても見上げても、世界は霞んで見えた。
いや、そう思っていたのは周囲の人々でしかなかったのかもしれない。少なくとも花形進には見えていた。少なくとも見ていた。世界を見ていたからこそ、負けても負けても、翌日からジムに顔を出し練習に打ち込んできたのだ。負けたから、勝つことを考えた。負けたから、勝つために練習をした。
勝負をしたからこそ、「負け」があり、「負け」があるからこそ、「勝ち」に向かう力を得られる。勝負をしない者に、「勝ち」も「負け」もない。
メキシコのトーレスはサソリと呼ばれた強打者であった。マスコミをはじめ、周囲は花形進の勝利の可能性はないと踏んでいた。完全にノーマークであった。
花形陣営は、人知れずほとんど取材を受けることもなく、ひっそりと羽田空港からロサンゼルスへ向けて飛び立った。
つづく
しかし、諦めずに明確な目標を持って努力を怠らない者に、終わりのないトンネルはない。
花形進は昭和43年、10回戦選手に昇格する。実に31戦を積み重ねた後の10回戦昇格であった。
10回戦に進んでからの花形進は連戦連勝を重ねた。それまでKO勝ちが一つもなかったが、長い下積み時代に培った技術と、絶え間ない鍛錬に裏打ちされたスピード、そしてなによりも不屈の精神力が、花形進を飛躍させた。昭和43年7戦7勝、2KO。この数字がそれを物語る。
この時期花形進は、あの伝説のボクサー大場政夫に判定勝利を収めている。後にWBA世界フライ級チャンピオンとして5度の防衛に成功するが、現役王者のまま不慮の事故死を遂げ「永遠のチャンプ」と称される伝説のボクサー、大場政夫だ。
しかし、この勝負はやがて後に花形進vs大場政夫の因縁の世界タイトルマッチへとつながって行くのだが・・・
さて年が明けた昭和44年、花形進は大きく花が開く。
4月にスピーディー早瀬を破り日本フライ級チャンピオンの座に登りつめたのだ。
そしてその勢いは留まることを知らなかった。
6月に現役のWBCフライ級チャンピオン・アラクラン・トーレス(メキシコ)とノンタイトル戦ではあるが、ロサンゼルス遠征でのカードが決まったのだ。
つい数年前、1勝もできない年もあった。“世界”など程遠かった。見上げても見上げても、世界は霞んで見えた。
いや、そう思っていたのは周囲の人々でしかなかったのかもしれない。少なくとも花形進には見えていた。少なくとも見ていた。世界を見ていたからこそ、負けても負けても、翌日からジムに顔を出し練習に打ち込んできたのだ。負けたから、勝つことを考えた。負けたから、勝つために練習をした。
勝負をしたからこそ、「負け」があり、「負け」があるからこそ、「勝ち」に向かう力を得られる。勝負をしない者に、「勝ち」も「負け」もない。
メキシコのトーレスはサソリと呼ばれた強打者であった。マスコミをはじめ、周囲は花形進の勝利の可能性はないと踏んでいた。完全にノーマークであった。
花形陣営は、人知れずほとんど取材を受けることもなく、ひっそりと羽田空港からロサンゼルスへ向けて飛び立った。
つづく
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